藤原兼家といえば、かの有名な藤原道長のお父さんです。
その兼家の奥さんの一人が、藤原道綱母という人で、この人が書いたのが『蜻蛉日記』です。
21年間にわたる記録なのですが、日記というより回想記。求婚されてから事実上の離婚に至るまでの苦しい胸の内を小説のように書いているのですが、これが本当に面白い!
兼家は、イケメンでモテ男。しかも家柄もよく、出世街道まっしぐらな人です。一方、道綱ママは、貴族の娘とはいえ、父親は受領。同じ藤原氏でも、兼家の家柄とは大きな差があります。
それでも、その美貌と歌の才能で兼家に求婚され、おお、玉の輿かと思ったところ、その結婚生活はなかなか波乱に富んだものでした。
素直になれない、才色兼備
この時代、複数の奥さんがいることは当たり前で、「私一人を見て!」というのは難しい。女性にとっては、非常に辛い時代だったと思います。(今でも辛い?)
兼家には、この時すでに正妻格の時姫がいたので、自分のことだけを見て!ってのも無理な気がするのですが、そういう思いが強かったんですね。
しかし兼家は、時姫だけじゃなくて、道綱ママのこともちゃんと大事にしてくれていたんですよ、正妻格の扱いもしてくれてましたので、ここは贅沢言っちゃいけないなあというところ。
だって、時代が時代ですから、「私一人」ってのは無理。しかも、兼家はモテ男ですよ。
そうはいっても、最初のうちはまだ良かったんです、割と足繁く通ってきてくれていたから。
問題は、第3の女が出てきた頃ですね。
「町の小路の女」という人が出てくるのですが、これが道綱ママの出産後くらいだったというのが、まあ時期が悪かったというかなんというか、女性としてはやっぱり許しがたいわけで。
しかも、夫の浮気を知ったきっかけが、うっかり手紙を見つけちゃったという不運。兼家が出かけているときに、置き忘れていった文箱を何気なく見てみると、他の女に宛てた手紙があるじゃない!!
なんなのこれ!!って腹をたてるのです。今で言えば、うっかり夫のスマホを盗み見てしまったところ、浮気女に当てたメールとかLINEを発見してしまった、というところでしょう。
そして、ある時「3日帰ってこない」ということが起きて、ああ、本当に結婚してしまったのか・・・と落ち込むわけです。(この当時は、3日通い続けることで「結婚した」ということになる)
それでも、捨てられたり、離婚したわけではないのだから、兼家が来たときくらい優しくしてあげれば良かったのではと思いますよ。
この当時、複数妻がいることは仕方ないことですから、その妻の中でも地位を上げていくには、やっぱり夫に気に入ってもらうという道を選んだ方が賢かったのではないかと。
しかし道綱ママはプライドが高いから、そんなことができない。たまに兼家が来ても、機嫌が悪いままだから、兼家の足も遠のいてしまうわけです。
その点、きっと時姫は賢かったんだろうなあと思います。賢かったのか、変なプライドを持っていなかったのか、あまり記録のない人なのでわかりませんが、後々、兼家が豪邸を新築した時に、時姫は親子共々、移り住んでいます。道綱ママとは扱いが違うという点を考えると、兼家のあしらいがうまかったんだろうと推察します。
初瀬詣で
時姫の娘が女御代になったということで、この儀式を済ませたら一緒に初瀬詣でに、と兼家から申し出がありました。素直に待っていればいいものを、「私には関係ないことだしね」と、また勝手に内緒で行ってしまうんですよ、初瀬詣でに。
お忍びで来ているから、お供も少なくて、「わびしくて涙が出るわ」と言いつつ、初めての遠出だからそこそこ楽しむ。
で、帰るときがなかなか劇的、ロマンティック。まだ暗いうちから出発すると、宇治川の向こうで兼家が待ってるんです。狩衣姿で。そりゃあ凛々しいでしょう。ここで歌のやりとりなんかをしつつ、たくさんのお供を連れて帰ることになります。
行きはなんだかわびしかったけれど、帰りは打って変わって華やかな行列となり、それなりにウキウキしていたのではないかと思います。
おそらく、このころがこの夫婦のピークかなと。ここでうまくやっていれば、もっと良い関係を築けたのではないかと思うけど、難しいものですな。
かげろうの日記といふべし
この日記が「蜻蛉日記」と呼ばれるきっかけになったのがこの段。
「かく年月は積もれど、思ふやうにもあらぬ身をし嘆けば、声あらたまるも喜ぼしからず、なほ、ものはかなきを思へば、有るかなきかの心地するかげろふの日記といふべし」
という文章が出てきます。
ここまでの15年を振り返って、かげろうのように儚いと嘆いている。せっかく初瀬詣でで、これからずっと幸せに暮らせるのではと期待していたのではないかと思うのだけど、期待が大きすぎたのでしょうか。
家出してみるけど・・・
私が男だったら、「なんてめんどくさい・・・」と思ったかもしれない。
道綱ママは、「なんで私のことをもっと構ってくれないのよ」という気持ちから、道綱を連れて、山寺にこもっちゃう。鳴滝の般若寺というところです。ここは、以前にも具合が悪かった時に訪れているのですが、今回は本格的にこもっちゃう。
一度、兼家が迎えにくるのですが、怒って出ていかない。ほんと、意地っ張りです。わざわざ迎えに来てくれたんだから、素直に出て行けばいいのに。
でも、山寺の生活で息子はやせ細っていくし、お父さんが見かねて「もう帰った方がいいよ」というだけど、まだ素直になれない。
最後は、兼家が強引に連れ出す、というていで帰ることになるのですが、一応、本人にも恥をかかせないようにって配慮してくれてるわけですよ。
ここらでもう素直になって、可愛い妻を目指していれば良かったと思うのだけど。
兼家は、道綱ママの歌の才能や裁縫の腕は高く買っているし、一目おく存在なのだから、もっと自分に自信を持てばよかったのにと思うのは、現代の感覚でしょうか。
女性が自立できる時代だったら、もっと違ってたのかも
平安時代というのは国風文化が花開いた時代ですから、とても華やかに見える一方で、女性にとってはなかなか大変な時代であったと思います。
なんといっても、名前さえ残っていないのですから。道綱の母ではなく、彼女の本当の名前はなんだろう。
すごく才能のあった人なのに、生まれた時代が悪かったのか。でも、この時代にこんな才能のある女性がいたから、赤裸々な日記を残せたというべきか。
角川文庫の「ビギナーズ・クラシックス」は超おすすめ
古典がこんなに面白いと思ったことはないです。角川文庫さん、ありがとう。
この「ビギナーズ・クラシックス」は、古典を読みやすく、面白く解説してくれているので、古典が嫌いという人にこそ読んでほしい。
例えばこの「蜻蛉日記」ですが、上巻・中巻・下巻と分かれており、さらに一つ一つの話が訳文・原文・寸評という構成になっています。これがわかりやすい。
最初に訳文を読むので、中身がわかる。そして原文に触れる。最後に、この話の背景や和歌の解説などが書いてあるので、どうしてこのような記述になっているのか、ということがすんなり入ってくるのです。
古典というのは訳だけ読んでも全く面白くないというのは、みなさん中高生の時に経験しているのではないでしょうか?
古典の授業が面白くなかったのは、時代背景を理解せずに訳だけを読んでいたからなんだ!ということがよくわかりました。
兼家という人のこと、歴史のこと、この当時の文化・風習などを交えて解説してもらうと、「なるほどね」と思うところも多く、この日記が格段に面白くなるのです。
古典はあんまり・・・という方、ぜひこのシリーズを読んでみてください。