哲学者の鶴見俊輔先生と作家の重松清さんの対談集。読みやすいのでぜひ読んでほしい。
教育、家族、老いることなどについての対談で、読み終わってから「私の生き方ってどうかな」と改めて考えさせられる本です。
考えるっていってもそんなに難しくではなく、「私はどう生きたいんだろう」と思えるような本だと思います。
ぼくはこう生きている君はどうか
鶴見俊輔/重松清 潮出版社 2016年06月05日
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祖父がいたらなあ、と思うこと
私は祖父を知りません。一人は生まれる前に亡くなったし、もう一人は1歳の頃に亡くなっているので記憶がない。
実は祖母ともあまり交流がなくて、仲が良かった祖母は4歳の頃に亡くなってしまったし、もう一人は長生きしたけれどあまり会っていなかったから、祖母の記憶もない。
とても残念なことだと思っています。
だから、親よりも年上の人との交流があまりなかった。
人生の大事なことって、年配の人、人生経験を積んでいる人から教わることって多いのではないかと、自分が親になって思うのです。
今はほとんど核家族でしょう。核家族って、デメリットが結構あるなと大人になってから思います。お嫁さんの立場からするとしゅうとや姑がいるのは面倒ですが、子供の教育という点からすると、違う世代の人との触れ合いっていうのはやっぱり必要なのだと思う。
自分とは違う価値観に触れるという意味で、身近な年配者がいるということはとても大事なことなんだろう。
核家族化しているからこそ、幅広い年代での交流を持てる機会が必要だと改めて思う。
家族の意味ってなんだろう
『家族がめざすべき里程標は何か』というところで、
私は母親に対して一つだけ恩返ししていると思うんだ。それは自殺に失敗したこと(笑)
と鶴見先生が言っています。
「自殺しない」ということが最高の親孝行なんです。
という鶴見先生の言葉が出てきます。
もっと原点に返る。家族の意味、本当に大事なことは何か。健康で生きていくことだっていうんです。
結構忘れていませんか、親になると、生まれたときは健康に生まれただけで喜んでいたはずなのに、成長するに従ってあれこれ子供に欲求が出てきてしまうの。
たしかに社会に出るには色々なことを学ぶことがあるけれど、まずは健康であること、そのことを親が大事だと思っていること。
これが家族の原点だなあ、きっと。
みんなが健康で暮らせてる、幸せだなって思い出したら、もっと生きやすい世の中になるんじゃないかな。
喧嘩してもいい、喧嘩から学ぶことはたくさんある
最近は、気があう、喧嘩をしない仲が友達なんだというヘンな定義が蔓延しているけれども、意見は違っていても信頼に値する人が大切なんだと。
これは本当、そう思います。
けんかをしないことがいいことじゃないのに、今は波風立てない子の方が良い子のように言われる。
違う。
喧嘩をしても、意見が違っても、お互いの価値を認め合えるような、そんな友達がありがたいのだ。
今は人の顔色を伺いすぎる。空気を読みすぎる。
喧嘩はしてもいい、それで意見の違いを知り、理解しあればいい、喧嘩はダメっていうのは自分の可能性を狭めてしまうと思う。
自分も散々喧嘩をしてきたので、争い事がダメだっていう風潮の中で暮らしている今の子供たちはかわいそうな気がします。
いいんだよ喧嘩しても。仲直りできればいい。
子供のうちに喧嘩の仕方を学んでおかないと、大人になって困るから。
もう一度自分の生き方を考えてみようと思える本
生き方に正解ってないですよね。
でも今は、正しい生き方とか、人の真似ばっかりしようとしている気がします。
誰かの決めた「正解」をなぞろうとしている感じです。
でもたった一度の人生、自分で行き方くらい決めないともったいない。
他人の尺度ではなくて、自分がどう生きるか、どう生きたいか。
それを改めて考えさせてくれる対談集です。
ぼくはこう生きている君はどうか
鶴見俊輔/重松清 潮出版社 2016年06月05日
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