何でも明るく、丸見えなのがいいわけじゃないね。
見えない中にこそ、暗さの中にこそ日本の美しさがある。
日本は陰の文化
今こそ、日本の素晴らしさを見直そう。
なんてのは、気持ち悪くて嫌いなんだけど。
冒頭から数ページ読んで、はー、なんと素晴らしい本なのだ、と感じた。
ただ単に、西洋文化を頭から否定して、東洋文化、ことに日本文化を絶賛する、という底の浅いものではないです。
西洋文明の便利さは否定しないし、いまさら江戸時代には戻れないし、戻るつもりもないけれど、気候風土、そこに住む人の性質、何もかもが違うところに異質な文化をそのまま持ち込んでも、まったくしっくりこない。
便利さを取り入れるにしても、もう少し日本文化の奥深さを損なわないようなやり方はないものか、ということなんだと思う。
これは、今の日本にも当てはまることなのではないだろうか。
パソコンもスマホも便利だ。インターネットは言うに及ばず。
古き良き時代とはいえ、今更昭和に戻れるかというとそれは難しいだろう。
しかし、何でもかんでも新しいもの、欧米で主流のものをそのまま日本に持って来ても、やはりしっくり来ないことは山ほどあるのでは。
日本には日本の風土があり、私たちのDNAがある。それに即していないものは、やはり違和感があると思う。
トイレ好き?
それにしても、ここまで「トイレ」について熱く語る文豪もいるまい。
日本のトイレ(厠)は自然にとけ込み、瞑想の場として最も適している、と。
なにせ、トイレの話に1章割いているのだから。
あの蛍光灯の下の白いタイルはどうにもお気に召さないらしい。たしかに、それもわかる気がします。
欧米のトイレは明るすぎる。
まだまだ日本家屋の風情が残る明治時代に、トイレだけが煌煌と明かりがついている様子も違和感があっただろうなあ。
その他、日本家屋の暗さはその気候風土に起因するものであるし、漆器や工芸品の美しさ、はたまた女性の美についても日本の”陰影”とは切っても切れないもの、「闇があってこその美しさ」であると説く。
なるほどね、とうなずきたくなることばかりなのだが、今の世の中にも同じことがいえるのではないか。
さっきも同じようなことを言ったけれど、今更電化製品のない不便な生活に戻ることは不可能だが、文化というのはその土地の気候風土や歴史とは切っても切れないものである。
欧米一辺倒でなく、もう少し日本独自の文化を大切にできたら、日本人が日本という国のよさを再認識できるのではないか、と思った。