毎日のご飯作りが辛い人へ。
この本を読んだらきっと気持ちが軽くなります。
「料理とは、食べられないものを食べられるようにすること」
食べることは生きることそのものなのに、料理においしさを求めるからおかしくなる。そもそもりょうりに「美味しさ」が求められるようになったのはごく最近のことで、美味しさが目的になってしまったから、料理が大変なものになってしまった。
なるほど。とてもわかりやすい説明です。
毎日、「今日の夕飯は何を作ろうか…」と頭を悩ませている人は多いと思うのです。私もそうです。疲れていなければ、あれが食べたいなと浮かんでくることもあるのですが、仕事が忙しい時は何も浮かんでこない。
空腹さえ満たせればそれでいいとさえ思う時もあるのに、「きちんとした美味しいご飯を作らなければならない」義務感に苛まれ、ご飯を作るのが辛くなってしまうこともあります。
料理は結果より過程が大事なのだ。
「おいしい」という結果だけを先に求めるよりも、料理を作る過程をもっと大事にしませんか?というメッセージが心を軽くしてくれました。
料理は好きだったのに、「美味しいものを作らねばならぬ」義務になると辛くなってしまう。もっと、料理をしたいという気持ちを大事にしたい。
「お料理したいのは、ちゃんとしたいから」
なんでちゃんとしようと思うのか。
それはよりよく生きようと思うから。
そうか。
おいしくなくちゃいけない、主菜に副菜がなくちゃいけない。
そんな思い込みが、料理を辛いものにしてしまっていた。
たとえば、生きていると疲れてしまうこともあるし、立ち止まりたくなることもあります。そんな時は無理せずゆっくりすればいいわけで、料理も簡単にすればいい。
土井先生は、「手抜き料理」という言葉を使いません。手抜き料理のレシピは受けたことがないし、これからも提案しないそうです。
家庭料理をする人を尊敬しているから、手抜きなどという言葉は使わない。そう言われると、なんだか日頃の努力が報われた気がします。
手抜きではなく「要領よくやる」「力を抜く」。いいですね、この言葉。
力を抜いてやれば、料理も辛いものではなくなるはずです。
「料理をする人の気持ちを守れ。」
ここまで料理について詳しく、そしてわかりやすく解説してくれている本はありませんでした。薄い本ですが、大事なことをがたくさん書かれています。
「料理をする人だけが一方的に負担を感じ、不満を募らせることはいけません。」
土井先生は食べる人が作る人に心を重ねることが大切だと説いてますが、そうか、これがないから私は料理が辛くなるのだとわかりました。
ちゃんとしたい気持ちはある。
子供たちには丁寧にご飯を作ってあげたい。
子供たちは美味しいと言って喜んで食べてくれる。
疲れている時には簡単なものでいいよ、なんでも美味しいからと言ってくれる。
一方で、ご飯が出てくるのが当然のように、テレビを見ながら座っている成人男子がいる。そこに腹が立つ。
料理が辛くなってしまう原因をうまく言語化してくれてありがとう、土井先生。
料理に上手も下手もないそうです。下手でも時間がなくても、一生懸命やることが大事。
気持ちを込めれば下手でもよくて、ときには力を抜いてもいい。そして究極は一汁一菜でよし。
料理の「本当」がわかれば、美味しく作らねばならな呪縛から解き放たれます。がんばらなくちゃと毎日のご飯作りが辛くなってしまっている人に、ぜひ読んでほしい1冊です。